親世代におけるサラリーマン人生の価値観とは?51歳の私が父と交わした最後の言葉から思うこと

こんばんは。あぼさんです。

私たち40-50代よりもずっと上の「親世代」において、サラリーマンはどのような人生観だったのでしょう。

もちろん人それぞれだとは思いますが、20世紀を懸命に生き抜いてきたこの世代において、「サラリーマンとしてずっと会社を勤めあげてきたこと」をある種誇りにしている方も多いのではないでしょうか。

一方で彼らの時代は現在ほど勤務環境も整っていなかったので、多くの理不尽や屈辱的な場面にも遭遇してきたと思います。そういった苦難に耐え忍んだからこそそれが人生の誇りであり、存在意義であったのかもしれません。

今回は昨年この世を去った私の父のことを少しお話したいと思います。

私の父は80歳で亡くなりました。7年前に気管支系の病気を患い、その後は長いこと病気と戦っていましたが、昨年8月安らかな最後を迎えました。

そんな父と最後に交わした言葉を踏まえて、父の時代の価値観との違いやこれからの50代の価値観の在り方等、私なりの考えをお話しさせていただきたいと思います。

目次

父の会社人生

父は某国立大学を卒業後、技術職として一部上場の中堅企業に就職しました(現在もその会社は東証プライム市場に上場しています)。本人は大学院に進学したかったようなのですが、家計の事情でできませんでした。

父はその会社で懸命に働きました。正直私は子供の頃、あまり父と深く話を交わした記憶がありません。いつも帰ってくるのは夜の10時過ぎ、土日出勤は当たり前、たまの休みも基本的に子供のことは母に任せっぱなしで、自分は趣味のレコードを聴いたり、仕事に関連する技術系の本を読み漁ってました。家に仕事を持ち込んで、一日中働いていたこともよくありました。

父は役員になることを目指していたようなのですが、残念ながらそれはかないませんでした。技術職の割にいいポジションまでいったようなのですが、父はあまり話が上手ではなく、会計や金融、語学の知識もなかったこと等も影響し役員には到達しませんでした。父の会社が一時経営不振に陥り、別の企業の合併した影響も大きかったようです。

母曰く、退職間際父は母に対し「役員になれず申し訳なかった」と謝ったそうです。

退職後の父の生き方

父が50歳の時(私が新社会人、妹が大学生の頃)、新たに家を建てました。実はそれ以前にもマンションは購入していたのですが、父にはどうしても「死ぬまでに大きな家を建てたい」という強い願望があり、母が相続した遺産なども元手にしつつ、やや無理なローンをして家を建てました。母曰く、この時の父は異常なまでに「大きな家を建てる」ことに対する執着があり、遺産を使うことで母との関係が一時的に悪くなるのも厭わないほどの状況だったようです。

なお私はすぐに地方転勤になってしまい、その後そのまま結婚してしまったので、この家には1年ほどしか住むことはありませんでした。

結局父は60歳定年(当時)まで働き続け、その後も会社から下請け的な仕事をもらい結局は75歳まで働いていました。定年後は一応「独立」という形ではあるのですが、実質的にはサラリーマンの延長のような生活を続けていました。もちろん仕事をし続けたいという思いもあったのかもしれませんが、住宅ローンも影響したことは間違いありません。

また75歳まで働いてはいたものの、73歳に病気を発症してしまったので、結局のところ父が完全に仕事から解放されたときにはすでに病魔に侵されていました。

父との最後の会話

昨年に入ってから父の病状が悪化し、7月に入院することとなりました。結局父はその後生きて「大きな家」に戻ることはありませんでした。

父がもう長くないことを悟った母と私と妹は、その後も定期的に家族を連れて病院に見舞いへ行きました。
そんなある日、たまたま私と父の二人だけになる時間がありました。その時の会話が今も私の頭に焼き付いています。

あぼ(仮)、お前はこれからもお母さんや奥さんに感謝しろよ

あぼさん

ああ、もちろんだよ

俺がお前のことで一番誇りに思っていることは、東京都内に立派なマンションを購入したことだ。あれはよくやったと思う。

あぼさん

えっ?あ、あっそう…いや、そんなことどうでもいいんじゃない?普通の分譲マンションだし…

いや、所詮俺の会社の給料じゃあんなところにマンションを買うのは無理だ。お前が今の会社で頑張った結果だ。俺はそれが嬉しかった。

あぼさん

そうなんだ…。正直俺はあんまり気にしてないけどね

俺だって本当はもっと一流企業に入りたかったさ。でも当時は大学院を出てないとそういう一流企業に入ることは難しかったからな。俺よりも全然成績の悪い〇〇とか▲▲とかはみんな一流企業に入社したのに…

あぼさん

い、いやいや💦流石にもうそんなことどうでもいいじゃない?親父はこうやって人生の最後を大好きな家族に見守られている。それが一番幸せなことじゃないのか?親父の人生は俺から見ても十分幸せだよ。

○○は結局高輪に家を建てたんだ。▲▲も鎌倉にでっかい家を建ててな。そこに呼ばれた時は本当にショックだったな…。だから俺は今の家を建てたけど、結局お母さんにはだいぶ無理をさせてしまったと思う。でも当時はあれが精いっぱいだった。

あぼさん

いやいや立派な家じゃない。結局俺は1年しか住まなかったけどね笑

というところで看護士さんが来て、話は終わりました。父とはその後二人で深く話すことはなく、事実上これが父との最後の会話となりました。正直あまり話はかみ合っていませんでした。父は翌8月に息をひきとりました。

病院を去る際、ベッドの上に小冊子のようなものが置いてあるのが目にとまりました。ちょっと冊子の中身を覗いてみると、それは元勤務先の社報でした。社報には新しい役員の体制などが掲載されており、そこに赤いマーカーがひいてありました。

父との最後の会話に感じたこと

父と話した内容を母に話すと、母はとても驚いていました。母にそんな話をしたことは一度もなく、まして就職したころの話ですら一度も聞いたこともなかったそうです。

なぜこんな話を父は最後に私にしたのか、それは今でもわかりません。
ただなんとなく父の言葉から、父の人生における「価値観」を感じました。

(父の価値観)
・サラリーマンは新卒から定年まで1つの会社で仕事をするのがあたりまえ。転職なんてありえない
・出世した奴が人生の勝ち組。出世できない奴は負け組。激しい出世競争を勝ち抜くことこそがすべて
・最終的なサラリーマンの人生の目的は、家や車を持ち、所帯を持つこと。

私は私立大学(文系)を卒業後、父親の会社とは全く関係のないそれなりに大手の企業に就職し、出世はそこそこに留まったものの、一応所帯を持ち、都内にマンションも買うことができました。

そういった意味では、父の価値観から見れば私は十分満足してもらえるものだったのだと思います。父は最後に「お前はよくやった」と言ってくれたのかもしれません。少し嫉妬のようなものすら感じました。

ただ正直、父の価値観はFIREを目指す私にとって既に過去のものでした。だから、ちょっと話がかみ合わなかったのかなとも思ってます。

FIREに向けて

FIREを目指していることはついに最後まで父には話しませんでした。

おそらく今50代の人たちが、親の世代にFIREの話をしたら大半の人が否定されるのではないでしょうか。

ただ、私個人としては父親世代の人生観の中で生きていくことは、父の死をもって完了したと思っています。
これからの人生は、父親の人生観とは180度違った人生になるかもしれませんが、それはそれで父に呆れられつつも、経済的自由を得ることで自分にとって最大の幸せを追求したいと考えています。

もし今の50代の方で今だに「親の人生観」の輪の中で生きている人がいたら、もう一度自分の人生観がそれで正しいのか、一度考えてみることをお勧めします。このブログが少しでもお役に立てることがあれば幸いです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

あぼさん

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