何度も訪れるサラリーマンの挫折。50代FIREを目指すことは挫折からの「逃げ」なのか?

こんばんは。あぼさんです。私は現在51歳ですが、57歳までにFIREを目指しています。

私は22歳で現在も勤める会社に入社し、今年でちょうど入社30年目になります。
決して順調なサラリーマン生活とは言えませんでしたが、それなりに満足できる会社人生を送ってきました。

ただそんな私でも、この30年間で少なくとも4度会社人生で挫折を味わいましたその都度悩みに悩んで、そこからの会社人生をどう送るのか、どう抜け出すかを必死で考えました。

そこで今回は、正直あまり思い出したくない過去もあるのですが、自分がこの会社人生約30年間で味わった4度の挫折と、それをどう乗り越えたのか、またそれが現在のFIRE志向に影響しているのか(結論から先に言うとあまり影響はしてないのですが💦)等をお話したいと思います。

私の挫折した内容を見て「そんなの挫折のうちに入らないよ!」と思う方も多いかと思いますが、人の感じ方はそれぞれです。実際自分自身が当時大きな挫折感を感じたことは事実なので、あくまで「私の場合」ということで、ご認識いただけると幸いです。

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目次

最初の挫折:初めての人事異動(挫折度★★★★)

突然の地方転勤

私は現在の会社に入社する前、人事部と面談をし、その際会社に入ったらどんな仕事をしたいかと聞かれました。
正直なところあまり深いことも考えておらず、ただ単純に「大学時代の友達や同僚との飲み会・合コン三昧で、東京で楽しく充実したヤングサラリーマン生活を送りたい」とだけ考えていました。なのでなんとなくそれっぽい(どんな仕事なのかはまったくわかっていません💦)部署名を出して、東京で働くことを希望しました。

そういう意味では非常に運よく、入社と同時に東京本社(やや専門的な部署)に勤務となりました。同じ職場勤務となった同期5人もとても仲が良く、年中遊びや飲みにも行ってましたし、合コンもそれなりに行きました。ちなみに私の妻はこの頃の合コンで出会っています。妻曰く当時の私は「とにかく浮ついていた」印象だったとのことです。

一方で仕事の方はどうだったかというと、まあそれなりにはやっていましたし、3年目くらいには仕事もだんだんと面白くなってきた頃でした。専門的な分野でもあり、この仕事を更に極めていきたいという思いも少しずつ湧いてきたころ、3年目の9月に突然地方支店への人事異動を言い渡されるのです。同期5人の中では最初の異動でした。

「なんで俺が最初に出されるんだ?俺だってほかの4人に負けないくらい、仕事もやってきたじゃないか」とも思いました。結局私が異動となった理由はわかりません。おそらく、なんとなく浮ついた印象のある私に「こいつには少し苦労をさせないとだめだ」という上司なりの思いがあったのかもしれません。

さらに私が異動となった1-2年後、同期が海外勤務になったり、私が行きたかった出向先等に異動になったりしたので、異動後も随分と凹みました。地方転勤から最初の1年は、あまり仕事にも真剣に向かい合えませんでした。なのでますます自分自身を悪循環のスパイラルに追い込んでいた時期だと思います。

結婚が挫折からの脱出の転機に

当時の私はまだ20代と若かったこともあり、とかくなにかと「人と比較する」ことばかりで、そのたびに落ち込み、挫折を繰り返すという時期でした。精神的にも安定していたとはいえません。

ちょうどこの頃私は結婚するのですが、今思えば「浮ついている(と見られている)自分を何とか律したい」という思いもあった気もします。そんな私と妻はよく結婚してくれたなと今でも思います。妻としても「この人はこのままだとダメになる」という思いがあったのかもしれません(聞いたことないですが💦)。

ただ私にとっては結婚したことによって少し「吹っ切れた」ことは事実です。支店の仕事にも真面目に取り組むようになり、結果全国表彰も獲得することができました。

こうやって少しずつ異動による挫折感が薄まっていきました。なぜか「転職」というキーワードが頭に思い浮かぶことは全くありませんでしたね。当時はまだ就職氷河期の残り香があり、とにかく今の会社で生き残らなければという思いで必死でした。

2度目の挫折:管理職登用(挫折度★★★★★)

最初の管理職登用から漏れる

その後もなんどかプチ挫折はありましたが、私のサラリーマン人生における最大の挫折は、30代中盤の頃、管理職登用から漏れたことです。

地方支店を2店舗ほど異動したのち、最初の部門に戻ることになりました。ちょうど会社が初めて「キャリア公募制度」を導入し始めたころで、私は真っ先に前の部署に応募したところ、運よく採用され戻ることができたのです。前の部署に未練があった私は、地方支店勤務時代も関係資格等を取得し続けていたこと等を評価をしてくれたようです。

元の部署に戻ってきた私は、それこそ懸命に働きました。最初の失敗を教訓とし、浮ついた姿勢など見せることなく、一つ一つの仕事を全力で取り組みました。
ただ一方、どうしても職場から5-6年離れていたブランクを解消することはできませんでした。ちょうどその離れていた期間に仕事の内容や方針、仕組みなどが大きく変わり、昔取った杵柄だけでは対処することができない仕事が多かったことも要因です。なかなかその差を埋めきるだけの評価を得ることはできませんでした。

私の会社では30代中盤~後半に最初の管理職登用(半沢直樹の世界でいう「第一選抜」とでもいうのでしょうか)があるのですが、結局私はこのリストに入ることはできませんでした。その後の会社における出世は「第一選抜」が中心となることは明白だったため、これに漏れたことは本当に当時大きなショックでした。

初めて精神科医に電話したのもこの時です(結局病院には行きませんでしたが)。さすがの妻もこの時は私の精神状態をかなり心配していました。

翌年管理職には登用されたが…

それでも1年間、精神的にも厳しい中、力を振り絞って半ばフラフラになりながらも働いた結果、なんとかその翌年に管理職に登用されました。この時は嬉しいというよりも、とにかく「ホッとした」ことを覚えています。この1年間は本当に辛かった。自分でもよく耐えることができたなと思います。

ただ予想通り、この「1年間の差」は結局51歳になった今でも埋めることはできず、むしろその差は大きく拡がりました。それが3度目・4度目の挫折に繋がります。

3度目、4度目の挫折:(挫折度★★)

経営管理職登用

3度目の挫折は40代前半。経営管理職(部長職)登用の時期です。
経営管理職は当然ながら誰もがなれるわけではなく、なれないまま会社を去る人も数多くいます。私の会社の場合、経営管理職と言ってもいわゆる「ライン部長」と「部付部長」がいるのですが、部付になるだけでもかなりハードルが高くなります。

当然ながら、「第一選抜」を軸に経営管理職になっていきます。結局私は3年遅れて「部付部長」の経営管理職になりましたが、その頃にはライン部長や執行役員になる同期もおり、そこからさらに上を目指すことはもはや難しい状況でした。この部付部長になるまでの数年間が一応「3度目の挫折」の時期になります。

最後の異動?

そして40代後半となり、人事異動が言い渡されました。
それまで長い間在籍してきたやや専門的な部署から離れ、法人営業の分野に異動することになりました。これで事実上、自身が強みとしていた専門分野からは完全に切り離されることとなります。これが4度目の挫折となりました。

なお、今でもこの職場で働いています。さすがに仕事にも慣れてきており、現時点で仕事そのものには特に不満はないです。テレワーク環境も整っており、通勤もかなり楽になりました。

挫折感はあれど、既に影響は小さく

3度目・4度目の挫折に関しては、挫折感があったことには間違いないのですが、管理職登用時の挫折の延長上のようなところがあり、心の中でどこか覚悟していたことでもあったことから、そこまで強い挫折感を味わうことはありませんでした。

ただ「いくら頑張ってもこれ以上この会社でさらに上に向かうことは難しい」ことを突き付けられたことで、その無力感をずっと感じていたのは事実です。

結局、挫折を乗り越えられた理由

以上が私の挫折の変遷なのですが、繰り返しになりますがおそらくこれを読んで多くの方は

「は?なんだたいしたことないじゃん」
「転職すれば良かったんじゃないの?」

と思うのではないでしょうか。正直なところ、私もそう思います💦

結局のところ、私は最後まで転職のカードを使いませんでした。なぜカードを使わなかったかといえば、結局は「転職のカードを使うより、今の仕事を継続した方が多少は辛いことがあったとしてもトータルで見れば幸せなのだ」と考えて自ら消化したからです。

また自分の中でも「こんなの客観的に見たら挫折に入らないよな…」という、どこか冷めた目を持っていたこともあったのかもしれません(その時その時は結構しんどかったですが…)。

50代FIREは「逃げ」なのか?


私の「57歳までにFIRE」の思いが挫折感から繋がっているのかというと、正直なところ直接的には繋がってません。

私の場合、過去云々ではなく、自分はいったい何のために働いているのか、これからの未来に向けて今後最大の幸せを得るにはどうしたらよいか、と考えた結果がFIREを目指すことに繋がったからです。


世の中では50代でFIREを目指すというと、「所詮は出世できず、挫折した人間が理由つけて逃げただけ」と思う人もいるかもしれません。そういう側面がある人が全くいないのかと言われると確かに完全に否定できないとは思います。

ただ私の場合、じゃあ出世してたら50代FIRE考えなかったのか?と聞かれると、結局するかどうかはともかく、どっちにしても考えてたと思います。FIREの前提である経済的自由を達成したら、それ以降どんな理由であれ我慢してサラリーマンを続けるのかというとなんとも言えません。まして自分が得意でない分野だとしたらなおさらです。

そもそもFIREという選択肢自体、出世しようとしなかろうと、その選択肢があるかどうかとは関係ありません。FIREを選択できる人生設計をすること自体は出世云々とは全く別の能力ですし、その人の個性だと思っています。

なので、50代FIREが「逃げ」なのかと言われれば、確かにそういう人もいるかもしれないけれど、大半は「逃げ」なのではなく、むしろ前を向いているのだと思います。

少なくとも、私は前を向いています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

あぼさん

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